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3・1独立闘争100周年を迎えてII

3・1独立闘争100周年を迎えて

[II] 3・1独立闘争の詩的形象

 3・1独立闘争は植民地下では思想統制が厳重で詩的形象ができなかった。解放直後の1946年に、洪命熹・李箕永・韓雪野・林和らを中心にソウルで結成された進歩的文学団体「朝鮮文学家同盟」の詩分科が編集した『3・1記念詩集』(建設出版社刊)に林炳哲「3・1節の朝」、金光均「3・1節よ―胸が痛む」、金起林「栄光の3月」、金容浩「年ごとに咲く花」の2篇が収められている。これが3・1テーマの詩の嚆矢だと思われる。そして1960年の四月革命(学生革命)以後このテーマの試作品は目立つようになった。アト・ランダムに代表的なものを挙げてみる。①申東曄「三月」②申庚林「三月一日」③高銀「堤岩里」④朴鳳宇「ふたたびパゴダ公園論」⑤金奎東「3・1萬歳」⑥文忠誠「三月のうた」⑦文益煥「滝のように流れる涙」。

 日本でも3・1をテーマにした詩作品が、無くはない。川崎洋子「朝鮮張下村の丘の教会で」、秋野さち子「楊柳のようにゆれた手」、斎藤勇「或る殺戮事件」の3編があり、また槇村浩は「間島パルチザンの歌」のうち15行を割いて3・1人民蜂起を称えている。朝鮮で生れ育った秋野さち子は7歳の時に目撃した示威行進の威厳を感銘深く描出している。英詩研究のオーソリティで敬虔なクリスチャンであった斉藤勇は、水原郡堤岩里の村民30余名を教会に閉じこめて皆殺しにした残虐をテーマにした全6連64行の長詩「或る殺戮事件」を、3・1蜂起酣の5月に『福音新報』(5月号)に発表して大量虐殺の非道を糾弾した。

[III] 詩3篇と解説

①「3・1萬歳」 金奎東

山を越え野を横切る
あのさわやかな春の風は あの日の風に違いない
どのように闘ったのか あなたたちは
どんなに毅然としていたことか
敵の銃剣に立ち向かい
その日を刻む風のなかで
燕たちも飛び交うのか
奪われた大地にも春の陽ざしは明るいのに
闘いに倒れた あなたたちの墓のほとりにも
春の草花は芽吹くだろうか
阻むものもなく広がる同胞(はらから)の抗拒
自由と独立を求めるあの日の萬歳の叫びが
天地をも揺るがすのに
風がさわやかにやってきて
分断された国土に侘しい春の訪れを告げる
きらめく陽光は永遠(とわ)なるもの
澄みきった空の下 愛の陽ざしを見る人よ
正義と悲憤と栄誉の日を歌え
どこからあのような愛が生まれたのか
無限に広がる心の宇宙を埋めつくし
聖なる姿で近づく絶対の幻影
われらの胸に高鳴るので
苦難と悲哀を友として生きてきた
民族であっても
世界に誇ろう
このゆるぎない精神と良心の声を
今は明かりをともそう 罪多き心に
祖国統一を我らの力でなしとげよう
だれがだれを咎めるというのだ
互いに愛し合う心で抱き合い
夢にも忘れがたい統一の日をめざして
巳未の年のように立ち上がろう
暖かい春風が 山と河に溢れる日をめざそう

 山野を渡る春風の優しさと命を賭して銃剣に立ち向かう人々の不屈の精神との融合をリズムにのせ、そして分断の不条理を怒り祖国統一への志向性を明確にした名吟である。1923年に生まれた金奎東は48年から詩を書き始めたアンガージュマン詩人の長老格で統一をモチーフにした作品を多く発表した。

②「滝のように流れる涙」 文益煥

1919年春3月
火を吹く銃口の前に
やつれた胸をはだけて
自由でなくば死を与えよと叫び
押し寄せた涙たちの喊声に
家が泣き 田畑が泣きました
牛小屋で牛が泣き
裏山でふくろうが泣きました
納屋で手垢に汚れた鋤が泣き
草取り鎌が 唐鍬が泣きました

 「泣く」という、ひ弱な詩語は、ここでは硬質な内実が付与されて強靭な抵抗精神の息づかいになっている。難解でないメタフォーがリアリズムの植民地的現実をリアルに浮き立たせている。1918年生れの詩人文益煥は牧師でもあり、反独裁闘争の象徴的な存在であった。89年にピョンヤンを訪問して金日成主席と会談しソウルに帰ってきた後投獄された。出獄後も民主と統一のために闘い、94年に逝去した。

③「朝鮮張下村の丘の教会で」 川崎洋子

ぼうや
泣かないの
こわいことはなんにもない
こうして きもちのいい風の吹きこむ教会で
窓からは ながれる雲も見えて
村の人たち みんないっしょで
おまえのアボジもそばにいて
ほら あひるも一羽
軍刀をつるし 拳銃をかまえ
日本憲兵がいそがしげに歩きまわっていても
剣つき銃の兵隊が教会をかこんでいても
ぼうや
こわくはない
オモニの目のなかには
夾竹桃の花がゆれ 花のなかに
おまえがいる
オモニの胸に顔をおしつけ
まるいちいさな鼻をおしつけ
そう ねんねんよう
あんしんしておいで
銃砲の弾丸は
アボジの胸がさえぎるだろう
ふりおろされる軍刀は
オモニの肩がうけとめるだろう
2人の血で
ぼうや
おまえをまぶし
おまえをくるみ
おまえをかくし
きっと
おまえを 生かしてやる

 この詩は、さきの斉藤勇の「或る殺戮事件」と詩材が同一である。詩全体のトーンはまるで子守歌である。淡々と連なるヴァース・ライン(詩行)にはわが子を守ろうとするさざ波のような母性愛が溢れている。わが子を愛し守護しようとする父と母の意志が、殺戮に猛り立つ日本兵の残忍を告発している。この詩を静謐たる抵抗詩と名づけることができる。静謐であるが故にそれだけ抵抗の精神が凜乎なるものであるということである。川崎洋子は1937年に福岡県で生れサトウ・ハチローに学び76年に私家版の処女詩集『玄関先の秋』で認められた。2001年に『しゃしんのなかのおとうちゃん』で第7回少年詩賞を受賞した。社会的観点からなる詩風に特徴のある閨秀詩人である。

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