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2008年03月 アーカイブ

2008年03月18日

第9聯合会の定期会議

 3月18日、第9聯合会の定期会議を韓昱洙会長をお迎えし、聯合会事務室にて開催。33名の担当者と韓国婦人が集まり、麗水セミナーの動員や今後の方向性に対して議論された。 韓昱洙会長は自ら在日のトップ10名の方を麗水セミナーに動員してくださいました。在日コリアンが和合していくこと感じられ、今後楽しくなりそうです。

報告者:事務局長 尹致重

壽官陶苑 訪問

 11連合会の会員15人は3月18日、鹿児島県日置市美山にある伝統的工芸品・薩摩焼で有名な壽官陶苑を訪ねました。

 韓国の名誉総領事であられる第14代沈壽官先生は、韓国から日本に嫁に来た婦人たちに次のようにコメントし、婦人達をいたわり暖かく迎え入れてくださいました。

 「皆さんは時代も環境も事情も違うが、異国の日本で新たな生活を踏み出した点で初代当吉が日本に連れて来られた時と同じような立場、なにかとご苦労も多いでしょう。辛い時には何時でもここに来て下さい。お話し相手になりましょう」

第14代沈壽官先生は名誉総領事として、韓国大統領就任式や天皇主催の韓国大統領歓迎晩餐会などに招かれた時のお話、ご子息15代を韓国の窯元に修行に出した事、その15代が13代の遺志であった世界に散らばった先代の作品も集めての「薩摩焼パリ伝統美展」をご実現してくれる事、海部俊樹、小渕恵三前総理との逸話などなどお話してくださいました。そのお話の背景に400年守り通してきた伝統と技術・血統という歴史の重みを感じとることができました。

 資料展示館を見学した後、鹿児島県本部に移動、婦人たちが心を込めて準備した昼食を頂きながら、第2回在日同胞指導者セミナーのDVDダイジェストを見ました。食事後、一人一人が自己紹介をしました。

 今回の訪問は、在日同胞歴史において重要な人物である第14代沈壽官先生に良い形で出会うことが出来た事が最も重要なことであったと思います。一人一人の感想、意見もそのことに集中していました。

報告:池田幸一

2008年03月20日

第3回FPU平和大使懇親会レポート

 愛知県本部では、3月20日(木)第3回平和大使懇親会を開催。参加者は在日平和大使等24名。初めに金渙 愛知県本部会長より「宗教間の和解、南北統一等、平和大使の役割は大きい。平和大使として恥ずかしくない自分であるよう常に身を律していく必要がある。」と主催者挨拶があり、続いて、宇宙創造の神秘に関するビデオ「神の科学」を上映。その後、登壇した金興林 愛知県本部事務局長が、統一思想「原相論」を紹介。

 質疑応答、懇談の場においては、「難しい内容をきちんと説明されていたと思う。日頃考えることのないことを考えさせられる貴重な時間でした。」(日本人男性 40歳)、「この講義を自分に生かしていくのが問題。授受作用は、各々が為に生き、譲り合い、助け合い人間性を高めるのが本来の生き方ということ。」(在日コリアン2世男性 74歳)等の意見・感想が寄せられた。

第2部として、事務局より、「麗水オーシャンリゾートプロジェクト」のビデオ上映と、2012年万博開催地、韓国 麗水の統一運動プロジェクトの説明と毎月定期的に開催されている在日麗水セミナーの紹介が為され、閉会した。

(記・北愛知地区 木村光宏)

2008年03月22日

北愛知ワンコリアの会レポート

3月22日(土)愛知県尾張旭市スカイワードあさひにおいて、北愛知ワンコリアの会が開催された。テーマは「古代日本・朝鮮半島交流史の歴史的事実 ~藤原鎌足のルーツと実像2」講師は南碩煥先生(瀬戸南塾 塾長・名古屋 韓国文化史学会 副会長)、参加者は19名。

 講演後、食事を囲んで質疑応答、懇談の場が持たれた。

 参加者からは、「藤原鎌足のルーツを大変詳しく学ばせて頂きました。滅多にない機会だと思います。」(日本人54歳女性) 「貴重な資料に支えられた講演でした。日本・朝鮮半島間の古代中世文化交流史の歴史的事実の正しい認識の良き機会であり、友好と平和の確立に大きく繋がるでしょう。」(在日コリアン74歳男性)等の感想が寄せられた。

講演要旨は以下の通り。
 「近年、多くの史家達は、古代日本文化のルーツが朝鮮半島にあること、天皇家および5~7世紀の支配層がほとんどすべて朝鮮半島からの渡来者で占められていたという事実を熱心に説いている。大化の改新でその現場にいた古人大兄の王子が『韓人、鞍作臣を殺しつ。吾が心痛し』と言った。韓人とは、一般的に朝鮮半島にあった、百済、新羅、高句麗の人々を指した。鞍作は入鹿の通称である。韓人にはさまざまな説があるが、鎌足のグループを指すより手がないような気がする。最近の学界では、中臣名族説を疑う意見があるが、鎌足の家が神官であったことはほぼ間違いなく、様々な点から新興階級あるいは渡来人との繋がりが強いのでないかと思われる。中臣を名乗る姓は、壱岐・対馬が多く、中臣の系譜自身がすでに渡来系ということである。おそらく職業としてやっていたのは亀の占いで、中臣氏が宮廷に進出し、地歩を築くのは6世紀前後、継体天皇の支持勢力となり、主に祭祀・儀礼を職掌したことによる。中臣氏の本拠地は、河内説が通説となっている。帰化人の種族がこのあたりに蟠居している。あきらかにこの辺り一帯が帰化人と非常に深い繋がりがあったといえる。墓の所在は、阿武山古墳が確実視されてきている。…」

(FPU北愛知地区 木村光宏)

2008年03月29日

第二回 特別講演会

「朝鮮人留学生の二・八独立宣言と布施辰治弁護士」
~朝鮮の独立運動を支援し朝鮮人と共に歩んだ日本のシンドラー~

2008 年3 月29 日(土)、東京・新宿にて第一連合会主催のもと、特別講演会が開催された。


 1919 年三・一独立運動直前の2月8日は、朝鮮からの在日東京留学生が、神田・朝鮮YMCA会館に集まって朝鮮の独立宣言をした日である。
 この日、日本警察に検挙された留学生代表が“内乱陰謀罪”にかけられた裁判の時、無償で弁護をかってでて学生たちの無罪を強く主張したのが、布施辰治先生である。そのお蔭で、被告の学生たちは軽犯罪の“出版法違反”を適用されて大部分が釈放されている。
 その後も布施弁護士は、多くの朝鮮人独立運動家の弁護を進んで無料で引き受け、戦前戦後を通じて社会的弱者であった植民地朝鮮の農民や、在日朝鮮人の救済活動で朝鮮人と共に歩んだ人権派弁護士、布施達治先生の生き様と軌跡を、布施先生の研究者が語る。

講師 許南明 (ホ ナムミョン)

 (元東京韓国学園教師 前在日民団幹部)
 川崎市生まれの在日二世。
 1945 年から1955 年まで10年間韓国に居住し、
 韓国動乱を体験する。ソウル大学 を経て、
 明治大学に編入し、地理学を専攻する。
 古代史及び近現代日韓人物史の研究を
 趣味とする在野の歴史家。
 著述・翻訳業の傍ら講師活動を続けている。

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