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平和という言葉・概念をめぐって

平和

 

「平和」という言葉を我々は何気なく使ってるが、その意味や歴史などは、やや漠然としたイメージでしか考えていない。戦争のない状態というのであれば、人類歴史は間違いなく平和な時期よりも戦争の時期の方が圧倒的に多かった。

だからこそ、戦争という悲劇から逃れたいという気持ちが、かえって平和が切実に求められたと言えるかもしれない。

古代ギリシアの喜劇にアリストパネス作の「女の平和」がある。これは当時、アテネやスパルタなどの都市国家時代のギリシアにあって、戦争ばかりをしていた男たちに政治を任せておけないと、女性たちがストライキを起こして、一箇所に閉じこもり、戦争の停止と平和を求めるというストーリーだったように記憶している。

男たちとって、家事や育児を放棄されたことは痛手だったが、それよりも強烈にこたえたのが、夫婦生活の拒否だった。かくして、男たちは音を上げ、女たちに降参するという結末だったが、これは現実の世界がそうではなかったから、それに対しての喜劇作家の風刺であり、痛烈な皮肉、批判であったろう。

現実の政治は、喜劇の通りにはいかなかったが、それでも女たちの平和を望む、その声は背景にあったことは間違いない。今現実に、女性の時代と言われているが、確かに女性の政治家の多くの出現は、戦争するばかりの男たちには政治を任せておけないという、ギリシア時代からの女性の願いが反映しているのかもしれない。

一つ言えることは、「平和」という言葉はその語源は古くはなく、明治時代に英語の「PEACE」という言葉の訳語として造語したらしい。といっても、日本にそれと似た言葉があり、それはある説によると、「和平」という言葉だったという。

この言葉の意味は「和(やわらげ)平(たいら)」にするというほどのものだが、要するに言葉などで相手を説得し服従させるということ。相手が屈服しなければ武器をもって征服するという意味も含められている。

奈良時代の言葉を集めた『時代別 国語辞典 上代編』(三省堂)で、「和平」を調べてみると、どうやら「平」はまだなかったようで見当たらないが、和は「やはす」という項目にある。意味は、「静め和らげる」とあるが、もう一つとして、「討ち平らげる。平定する」とあるから、武器を放棄した平和ではなく、武器によって戦争をし相手を倒すという意味を含んでいた言葉であったことがわかる。

古代人にとって、「和平」とはそのような意味をもっていたのだが、それは現在の国際政治にも通じる概念でもあるだろう。

古代中国の春秋戦国時代には、多くの都市国家が存在していて、戦争や和平を繰り返していたが、そのために多くの思想家が生まれた。諸子百家と言われた人物たちは、孔子を始めとして、老子、孟子、旬子などがいて、論争を戦わせていた。彼らはそれぞれ独自の考え方をもっていたが、その基本にあるのは、国をどのように栄えさせるか、他国をどのように屈服させるか、あるいはどのように生きるか、など政治哲学から社会改革、人生観などあらゆる思想が百花繚乱のごとく乱立した。

その中で、頭角を表したのが、王者・帝王としての治者の思想を説いた儒教であり、その後の中国の歴史において、圧倒的な学問になって、歴史を主導した。日本、韓国を含めた東アジア圏は、儒教思想の影響下にあったと言っても過言ではない。

その意味で、今でもよく知られているのは、孔子の儒教であるが、古代当時、それと同等に盛んだった思想家が、現在、再評価されつつあるのが、墨子の思想である。

墨子の思想の軸となるのは、「兼愛」と「非攻」という考え方である。「兼愛」とは、自分を愛するように他人を愛するという博愛主義であり、「非攻」は、他国を侵略しない、戦争をしないという「平和思想」である。

しかし、このような主義はともすれば、机上の空論、ただの実践を伴わない観念論になりやすいが、墨子の凄いところは、これを実際に実行したことである。

たとえば、「非攻」であれば、戦争を起こそうとする君主を説得できない時は、攻められる側の国に行って、その都市国家が征服されないように、防衛のための陣地の整備、土木技術によって難攻不落とした。相手側が攻めあぐんで諦めて撤退するまで防衛を引き受けたのである。

また、「兼愛」では、家族よりも他人を愛するような集団を形成した。現在から考えれば、理想的な思想のように見えるが、生き残ったのは儒教であり、墨子の墨家は歴史の中に埋もれ途絶えてしまった。

なぜだろうか。そこに歴史の不思議さを感じるが、やはりこの「兼愛」「非攻」を実現するためには、一人のリーダーを中心として全体主義のような統制を取る集団主義、独裁主義だったこと、そして、理想を実現するために音楽などの娯楽の否定、節約主義、要するに個人の財産や行動の自由を制限することなどが、この集団を先細りにさせ、やがて、歴史から消えていった原因だろうか。

(フリーライター・福嶋由紀夫)

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