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『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』 (9)箱根

 

(9) 箱根

富士山、「白頭山の如し」

 日本の象徴といえば、富士山。ここにも外国人観光客が殺到している。遠くから拝む富士山は、葛飾北斎の富嶽三十六景など江戸時代の浮世絵で知られるように、霊峰を印象づける山容である。ただ、登山となると、失望するらしい。登山者の捨てたゴミが目立つからだ。世界遺産にも登録された名峰、霊峰のイメージを守るため、入山規制も叫ばれる時代に入った。
 来日した朝鮮通信使の目的は江戸城で国書を交換すること。そのため、大坂から陸路、江戸に向かい、駿河に入ると
否が応でも富士山が視界に入ってくる。朝鮮の名山と比較して、「あたかもわが朝鮮北土の長白山(白頭山)の如し」と、申維翰(1719年製述官として来日)は記し、こうも印象記を書いている。「けだし、万丈の高峰が屹然として空につっぱね、その状はあたかも円簪の如し。そして山の頭部は、白玉の如くにして、一塵も染まぬ。腰から下はまた、草木生えたるも鬱茂たるにはいたらず、これを望めば濯々然たるを覚える」
 富士川の舟橋を渡り、富士山の裾野で一夜を明かした申維翰は、世話役の日本人が「その山の真面目を見るを得て、賀をなす」声を、耳にしている。霊峰を望めることは、縁起担ぎにもなったことを知る。
 富士山を描いた江戸時代の画家は、数多くいた。その一人、南画の大家、池大雅は通信使に随行した画員・金有聲(キムユソン、1764年来日)と会い、即興の美技を見せられて感嘆した人である。「朝鮮の絵師は、富士山の山襞をどう描くのだろうか」。これを尋ねそこなった池大雅は、それを書簡にしたため、金有聲に質問している。
 うるわしい日朝の交流劇であるが、儒学の国の中華意識に固まった金仁謙(キムインジョム、書記として1764年来日)は、三島で富士山を見て、次のように鼻で笑っている。
「優雅にして高大 雲の果てに届いている 奇観とは思うが 先人の日記に見るのとは 相当異なる この地の人々が称讃して 天下の名山中 比するものなしというが それは井の中の蛙同然 笑止の極みである」
 興津(静岡市)の清見寺には、立ち寄った通信使が漢詩を多く寄せている。その中には「小華」という言葉を記したものが多々ある。小華とは小中華のこと。中国と並び、文化的に優れた国としての誇りが刻まれた文字である。朝鮮国王が日本出立に際して通信使を励ます言葉として、「君命に恥じぬように、わが国の体面を汚さぬように」と、儒教の国の威厳を強調している。その自負心が、漢詩にも反映されているとみるべきであろう。
 しかし、箱根の嶺を越えていくうちに、「海東の名山中 第一であると納得する」と金仁謙も、素直な心情を吐露している。
 通信使高官が書いた使行録、いわゆる日本探訪録には、どの書にも富士山が載っている。「国中の名山名水は、沿路で見たところでは、富士山と琵琶湖より大なるものはない」(申維翰)というほど、日本土産のような印象を、通信使一行に与えた。

 

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【転載】『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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