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『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 あとがき

 リーダーシップをとるのは、誰か。その中心人物の考え方に共鳴・同調して行動を共にすることができるか。中心人物を自治体に置き換えて考えた。
 韓国で二番目に大きい都市、釜山。しかし、人口減少に歯止めがかからず、いまでは350万人の規模になっていると聞く。それに伴い、行政も模索を続け、あの手この手の活性策を打ち出している。その一つに、今秋、世界記憶遺産に登録された朝鮮通信使顕彰事業があるようだ。
 毎年5月、子供の日にあわせて開催する朝鮮通信使祭りは、釜山市挙げての祭りに成長し、定着した。史跡の掘り起し、教育施設の開設など、環境整備が進む。世界記憶遺産登録を契機に、通信使資料館の建設案も打ち上げられた。

 そのような背景を踏まえ、朝鮮通信使「韓国の道をたどる」ツアー(2017年12月)のとき、地下鉄・凡一駅から近い朝鮮通信使歴史館(南区)に、釜山文化財団の通信使顕彰事業に長く参加している研究者に来てもらい、話を聞く機会があった。そのとき、「韓国では、通信使ゆかりのまち(縁地)をつなぐことを、やろうとしているのか。日本には、対馬から日光まで、縁地をつないだ協議会があり、毎年、縁地の自治体や民間団体を集めた全国大会を開いて、結束を固めている。地域連携を基本にすえたネットワークは大切ではないか」。そんな質問をした。

 その研究者の話では、通信使に加わった高官の子孫らが、韓国の縁地ネットワークを形成する過程で、積極的にかかわろうとしているという話だった。5月の通信使祭りのとき、通信使再現行列を行うが、そのとき、通信使の高官(正使、副使、従事官)を輿にのせて行列する。このとき、子孫たちが名乗りを上げ、輿に乗るケースが多い、主催者も、その狙いを持って呼び掛けているようである。
 韓国はトップダウンの国。ことをやりだすと早いが、釜山市を中心に縁地の自治体が集まり、通信使のネットワークをつくるまでに至っていない。釜山市が呼び掛けて、ネット形成に動いたという話もこれまで耳にしていない。
 韓国に、日本のような縁地連絡協議会ができることを望んでいる。韓国で、「朝鮮通信使=釜山」にだけ限定されるのは、いかがなものだろうか。

 朝鮮通信使が世界記憶遺産になったことで、改めて通信使が残した精神とは何か、を社会にアピールすることが肝要である。それは誠信の交わりである。これは、対馬藩で対朝鮮外交に尽力した雨森芳洲が61歳で藩主に説いた外交の心構えのなかに出てくる。「お互い欺かず争わず真実をもって交わる」。雨森芳洲は長く外交業務にかかわるなかで、この精神こそが両国関係を円滑にするものであると感じ入った。

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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