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黄七福自叙伝14


「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第1章 祖国解放までのこと

鉄工所の経営者になったこと

大阪の京町堀に後藤象一という人がいた。山口県の光海軍工廠の所長で、陸軍少将だった。

大河内少将と姻戚関係にあるということで、光海軍工廠へもよく訪ねて行った。

そうこうするうちに、工場を持ちたいという気持を吐露したことから、

「あれをやってみい」

ということになって、後藤少将と一緒に森ノ宮の陸軍砲兵工廠の近くにあった城東電器という会社を見に行ったこともあった。

徴用で従業員が出征したりすると、平和産業は成り立たなくなり、その会社も統廃合の対象会社となっていたからだ。

そうしたことから、後藤少将としばしばあちこちの工場を視察したが、こうした陸軍省とのつながりで、鉄工所を始めることになった。

昭和十九年十二月二十五日のことで、私は二十二歳だった。

その工場は、国鉄百済駅近くの桑津町にあって、百坪ほどの敷地で、ボルト・ナットを製造した。

鉄工所はみな軍需産業で、そのときのカネで二十六万五千円で購入した。陸軍省の偉い人たちが、

「優秀な朝鮮青年や」

といってくれたし、工場を経営しだすと、周囲の人も、

「偉い」

と誉めてくれた。

納品先は海軍の軍需工場だった。

鉄と鉄とを繋ぐにはボルト・ナットは必需品だった。溶接の場合は、二度とはずさない箇所で使用されることが多く、そのために修理するときは大変だったが、ボルト・ナットははずして修理ができるという利点があった。

時に油も統制だった。誰かが油をもってきて、それを買ってしまったが、それがひっかかっ て、大池橋の憲兵詰所に連行された。

パンツ一枚でコンクリートの上に立たされ、

「なんで、買ったか」

厳しく訊問され、竹刀でどつき回され、ひどい目に遭った。

そのとき、朝鮮人が中学校以上を出て、青年になっている者は、何かの事情をつけられて必ず拘束されるようになっていると感じた。

憲兵隊本部が大阪城の中にあって、陸軍省の使い走りをしていたとき、その本部へ憲兵大尉か、少佐かを訪ねて行ったことがあったから、その軍人の名前を出すと、しばらくして、

「もう帰れ」

と放免してくれた。軍隊は絶対権力の場で、上官の命令には絶対服従だった。


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