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黄七福自叙伝「抗日義兵闖争」/「朝鮮義烈団」


 

黄七福自叙伝07

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第1章 祖国解放までのこと

抗日義兵闖争

国母・閔妃の殺害で反日感情は高まり、断髪令を機にさらに強くなり、武力抗争に変わった。

これが義兵闘争のはじまりで、衛正邪思想の儒者らが中心になって、京畿道利川や江原道春川・原州、忠清道洪城・提川、慶尚道山清・金泉などで蜂起、倡義隊を編成して経文館巡検などを襲撃し、鉄道などを破壊した。

後に、間道(満州)やロシア沿海州、ハワイ等に避難し、義兵活動を続けることになるが、 ハーグ密使事件後、日帝は大韓帝国軍を解散させたため、将兵らは抗議して日帝軍と市街戦を展開した。

大韓帝国軍は八千八百人ほどで、解散後は、農民や儒者の義兵運動に参加する者も多くなった。

義兵闘争は各地に波及し、面事務所、警察分遣所、郵便局、質屋などを襲撃して破壊した。日本は、こうした義兵闘争を鎮撫することに躍起となり、義兵の家族や良民まで捕らえ、虐殺するという残忍な殺戮をほしいままにした。

これに対し、義兵闘争はますます熾烈になり、一九〇七年十二月には全国の倡義隊一万余人がソウルへ進撃するために京畿道楊州に集結したが、日帝軍の兵力のまえに敗れた。

安重根の伊藤博文暗殺もロシア沿海州を拠点にする義兵闘争に位置づけられているが、激烈していく義兵闘争に対して、日帝は陸軍大将の寺内正毅を新しい統監として恐怖政治を強行した。

そうしたなか、一九一〇年の日韓併合に際しては、時の総理大臣・李完用の家を襲撃して放火した。平壌では、平安道視察の総督暗殺事件が事前に発覚して「一〇五人事件」が起きた。

 

朝鮮義烈団

一九一九年十一月に吉林省把虎門外において金元鳳、李鍾岩等十三名が抗日武装秘密組織である義烈団を組織し国内に浸透して日本の諸機関を数多く爆破し、金九の韓人愛国団と同じような戦績を遺した。

『朝鮮上古史』の著者である申采浩も初期の頃に加入し、「朝鮮革命宣言」を起草した。

一九二八年に満州から北京へ移動し、四年後に南京へ移動した。その重要な戦績は殖産銀行、東洋拓殖会社、朝鮮総督府、密陽、釜山、鍾路等の警察署の外に三十余個の日本機関を爆破した。

義烈団は、少数の秘密結社として「駆逐倭奴」「光復祖国」「打破階級」「平均地権」を基本綱領とし、十の公約のうちの第一番目の「天下の正義の事を猛烈に実行すること」の「正義」と「猛烈」からそれぞれ一字ずつを取って作った名前である。

義烈団の言う正義とは「朝鮮の独立」と「世界の平等」であり、猛烈とは「暗殺、破壊、暴動」など、暴力闘争を言っている。

義烈団は、よく無政府主義者団体と考えられているが、暴力路線に賛成していた民族主義者、共産主義者、無政府主義者が入り混じっていた。


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