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我々に家庭力はあるのか?

 

我々に家庭力はあるのか?

 現代に至り、民主主義思想が高潮して、人々は奴隷解放、黒人解放、弱小民族解放などを主張しながら、人権擁護と男女平等、そして万民平等を叫ぶことによって創造本然の個性の価値を、最高度に追求するようになったのであるが、これはとりもなおさず終末となり、堕落人間が失った神の第一祝福を復帰できる時代に入っているということを実証するものである。(原理講論 第三章 人類歴史の終末 第四節)

はじめに

 最近、北朝鮮がミサイルを発射した後、米国が北朝鮮の貨物船「ワイズ・オネスト号」を抑留するや否や、北朝鮮は国連駐在大使が記者会見をするなど総攻勢に出た。この事件は、アメリカ財務部が2005年9月、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)を「資金洗浄の疑いが強い」金融機関に指定し、北朝鮮関連口座50個余りにあった2500万ドルを凍結した事件を想起させる。
 また1968年1月、アメリカ海軍の情報収集艦プエブロ号が元山近海の海で北朝鮮に拿捕された事件があったが、今回アメリカに拿捕された「ワイズ・オネスト号」を中心に、次の米朝首脳会談にどのよう影響が出るか、注目するところである。

日韓はひとつだ

 一方で、徴用工関連の裁判で韓国大法院が賠償を命令した判決に対して、日韓外交長官会談では互いの利害関係が解決できていないのが現実である。それでも私たち平和統一聯合は、いつも「日本と韓国はひとつだ」と叫んでいる。
 より日韓がひとつになるように叫ぶのは、それだけ現実がかけ離れているためである。そのスローガンのように日韓がひとつになって、両国が東北アジアにおける平和のモデルになることを望んでいる。日韓両国の指導者らも、見えないところで共に新しい関係を結ぶための出口を探そうと苦心している。
 数日前、韓国の新聞記者達が衆議院会館で開かれた日韓トンネル・シンポジウムに参加した。 参加者による質疑応答の際、日韓トンネルが進行されない理由の中に「両国の共感形成が弱い」という話があった。日本では全ての県に日韓トンネル推進委員会があるように、韓国でもそうなればと考える。こうしたことが民間次元でより推進され、未来にお互い良い関係を持って真の愛を分かち合う孝情文化を作り、「日韓はひとつだ」というスローガンすらいらないほど、その意識が拡散されれば、どれほど良いだろうか。また、日韓トンネルが中心となり、共に東北アジアで新しい秩序を作るきっかけにならないだろうか考えてみる。

私たちのすべきことは何だろうか?

韓国から日本に来て、最も多く叫んだ言葉は、「日韓一体」という言葉である。この運動の進展が微々たるものであるため、天の前にいつも恥ずかしい思いである。多くの僑胞や財閥家に会ってきたが、真の父母を証すのにいつも自分の足りなさを感じていた。在日同胞は自身のアイデンティティについて考え悩んでいるが、彼らを真の父母を中心とする世界摂理にどのように連結するのか、いつも考えている。
 5月17日に行われたソウル10万人大会とILC2019(International Leadership Conference)に参加するため、神奈川大学で東洋学を教えていた梁東準博士と共に祖国訪問をした。これらの国際大会を通じて多くの指導者が大韓民国を懸念するのを見て、梁博士は非常に感心した。

共に歩いて

 朝鮮通信使の再現である『21世紀の朝鮮通信使 友情ウォーク』(以下、友情ウォーク)がソウルから東京まで(4月1日~5月23日) 53日間開かれて、今回のILCと10万人大会について人々に伝えることができる良いきっかけになった。朝鮮通信使そのものは宣祖40年(1607年)から純祖11年(1811年)まで約200年の間に、12回かけて両国の友好関係を増進するために行われた行事であった。
 月日が流れて、現在の友情ウォークは会長の遠藤靖夫氏と韓国の体育振興会ソン・サンギュ会長が、共に12回の朝鮮通信使を再現しようと約束して始められた行事である。今年で7回目だったが、韓国人6人と日本人10人がソウルから東京までの全行程に参加し、互いに友情を分かち合って歩いた。
 過去6回の大会を進めてきた結果、「ユネスコ世界記憶遺産」に朝鮮通信使が登録されたと、彼らは誇らしげに感じている。登録後、初めて行われた今回は、主催者側によると、総参加者はのべ3,791人とのことだ。この行程全区間2000kmの内、公共交通機関を利用したのを除いた行軍距離は、韓国525km、日本633kmだった。この日本での行程に、平和統一聯合の会員らも共に歩いた。

最後に

 私たちは今までピースロードを通じて、日韓が中心だった行事を世界的な運動へと発展させた経験がある。友情ウォークに参加した、韓国から来た本隊メンバーの平均年齢が72才だったので、父母を迎える気持ちで区間毎に各地域で共に歩いた。最初の頃は私たちが参加することに警戒する人もいた。
 しかし、中には韓国の故郷が同じ方や同じ大学の師弟間の出会い、自然に結婚問題や人口絶壁による友情ウォークの後継者不足に対する話があった。また民団中央幹部らとも出会い共に歩きながら、同じ血を確認できる場であった。私たちは共に日韓両国の会員たちと僑胞がひとつになって、来年の東京オリンピックと2032年ソウル-平壌オリンピック共同誘致を念願にしながら歩いた。このように、共に歩くということは力であると感じた。共に歩きながら、「南北統一! 家庭力が国力である!」というソウル大会のスローガンを彼らに説明しながら、その意味を深く確認する場であった。
 朝鮮通信使の精神を賛える彼らと共に歩きながら、私は夢を描いてみる。いつの日か私たち日韓が、国境を越えて青い草原に黙黙と生きてきた高麗人と、中国延辺に住む朝鮮族と共に歩き、ウリナラの家庭儀礼を分かち合い、家庭と家庭が連結された時、大会スローガンのような「家庭力」というキーワードを共に話すことを望みながら。

 

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