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『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 (7) 聞慶


 聞慶鳥嶺(ムンギョンセジェ)は1千メートル級の山で、南北をさえぎる。白頭大幹の鳥嶺山の尾根を越えるこの峠は、アリラン峠として嶺南(慶尚道)から都・漢城に至る最短の道だった。“韓国の箱根”といわれる聞慶鳥嶺は南北を結ぶ主要幹道である。数々の歴史が刻まれている聞慶鳥嶺は、山歩きが好きな韓国人にとっても、人気のある場所である。
 かつて、ソウル側から車で途中まで上がり、約1千mある山頂を目指し、そこから三つの城壁を潜って南へと降りたことがある。下山するまで3時間超を要した。南北をつなぐ幹道は、山の頂を境にして走る。その一角に、科挙試験を受ける両班(ヤンバン)階級の若者の銅像が立っている。歴史ドラマにも、よく出てくる時代衣装をまとって。
 合格の二文字を心に刻み、多くの若者が鳥嶺を越えて行った。銅像は見上げるばかりの大きさだった。

 宣祖の時代のドラマである『ホジュン(許浚)』では、医官の試験をうける彼が、都から遠い全羅南道を出発して受験に向かう途中、病が蔓延する村に請われて入り、試験に間に合わなくなりそうになる。そこで、都の試験会場まで、馬で駆けて行った。その村は聞慶鳥嶺より、南にあったのではないか。
 秀吉の朝鮮侵略のとき、加藤清正、小西行長も、この道を攻めあがった。傾斜がなだらかなである。険しくないから、秀吉軍にとっては、攻めやすかったはず。地理に詳しい朝鮮軍は、 坂道を登ってくる秀吉軍を防げそうなのだが、実際は鉄砲(火縄銃)の威力に打ち負かされ、一気に突破された。
 麓の城壁を潜る手前まで、川に沿って歩いたが、巨岩があちこちに存在する。それに儒学者、文人らが漢詩を刻んでいる。役人が自らの業績を称える石碑も立つ。石に刻めば、後世に残るし、子孫の誉れにもなると考えるのであろう。両班は漢詩文の才能がなければ、科挙試験に合格できないので、石に刻む儒学者は、その才能を誇る意図もあったのであろう。

 聞慶鳥嶺を下りると、麓にロケ地が広がる。ドラマ撮影のために、王宮を中心に都の一部が再現されている。テーマパークのような代物である。近年、ロケ地としては、水原に近い龍仁 (ヨンイン)が重宝にされているようである。
 聞慶はリンゴ(韓国語でサグァ)の産地。シーズンの秋、沿道には、赤く色づいた美味しそうなリンゴが並べられる。

朝鮮通信使関連史跡

・熟玉(スオク)滝 = 通信使一行が、笠を脱いで休息し、酒を交わし楽しんだ場所
・新恵院(シンヘウォン) = 馬を交換した場所
・鳥嶺  = 釜山に向けて南行するため越えなければならない峠
・鳥嶺関 = 鳥嶺には三つの関所があるが、その最初の関所
・交亀亭(ギョグイジョン) = 道中、休息をとり、詩を作った場所
・龍秋滝(ヨンチュポクポ) = 昼ご飯をとった場所
鳥嶺村社 = 無事に帰還できることを祈願した社
・冠山之館(クァンサンチグァン) = 通信使が泊まった聞慶の宿舎

資料館&博物館

・昔の道博物館 = 豊富な資料をもとに、旧道の歴史などを紹介

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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