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『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 (16) 広州


 ドラマ『薯童謡(ソドンヨ)』や『階伯(ケベック)』でお馴染みの、百済の都・公州。
 1764年、第11回目の通信使に書記として加わった金仁謙(1707~1772、号は退石)の故郷が、公州だという。錦江橋の近くの堤防沿いに「退石金仁謙歌碑」に立つ。歌辞(カサ)という文体で詠まれた歌と彼の人となり、業績が刻まれている。詳しい内容は公州大の尹龍爀(ユンヨンヒョク)教授が、市の定期刊行物に「歴史の中の公州人物」として、金仁謙と通信使紀行を書いて紹介している。かつて公州で金仁謙をテーマにしたシンポジウムも開かれている。掲載写真として、金仁謙の歌碑と林の中の墓石、下関の通信使記念碑と沖縄・サツマイモゆかりの神社が載っていた。

 金仁謙の日本使行録は『日東壮遊記』といい、高島淑郎氏(現、北海学園大学教授)が中心となって校注を加えている。その表現が、歌辞という朝鮮独特の形式をもつもので、金仁謙はその才能に優れていた。『日東壮遊記』は通信使研究者の間では、貴重な記録として認識されている。朝鮮通信使のユネスコ世界記憶遺産にも登録された。
 このときの使節は、光と影を持つ。影の部分は、大坂で使節の都導訓・崔天宗が対馬藩の訳官・鈴木伝蔵から殺害される事件が起こり、大坂に足止めになったことである。光の部分は、正使の趙曮(チョウム)が対馬で青々繁る孝行芋(サツマイモのこと)を見て、凶作のとき役立つ救荒作物ということを知り、朝鮮に移植させた。これがコグマで、実際、朝鮮で発生した飢饉のとき、役立っている。
 金仁謙は57歳のとき、病弱な体ながら1年かけて漢城(現ソウル)と江戸(東京)の間を往復した。その間の見聞録を子孫に残したいと、歌辞という律文詩でつづった、ハングルの紀行文『日東壮遊歌』を完成させた。それは見事な文章であり、日本社会を見る観察力は鋭かった。行く先々で求めに応じて書いた詩文は千首を超えた。「連日大勢の倭人らが 詩文を送ってくる 病を圧して すべて和酬してやる」と金仁謙はため息をついている。
 どこの宿泊先にも儒学者、文人、医者などが朝鮮の先進文化を学ぼうと盛んに足を運んだ。帰国報告を聞いた国王・英祖は「あっぱれ見事であった」と称えている。
 公州は人材の宝庫である。出身者のなかには、朝鮮の近代改革を企てたが失敗に終わった金玉均(キムオッキュン)もいる。上海で刺客に襲われ死んでいる。それと首陽大君(スヤンテグン、のちの世祖)の政敵として殺害された金宗瑞(キムジョンソ)も、そうだという。公州は、武寧王と李参平(有田焼の祖)を通じて、民間交流を進めている。そこに金仁謙が加わる。

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 【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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